精神疾患についてゆる〜く学ぶ。

精神保健福祉士を目指している男のブログ。

なんかねー、だるいよー
 
こういうハウツーばっか書いて満足感を得ているからダメなのでは?
やることを優先的にやって解放感を!
 
留年するときはそれで
退学しても生きていけるし、
 
そんなマインドがあるとしたらまずい
 
もうまじで死にてぇ、
なんで生きてんだ。
 
 
なんの努力もしなかったくせに
その烙印を押されるのが怖い。
 
楽に成長したいが
 
よく頑張ってますよ、
誰にでもできる仕事、とかすんのかな。
そんで給料平行線、二か月に一回のソープが楽しみなだけのおっさんになるんかな
 
苦しいなぁ、
俺が主役なのに、
 
この苦しんだ分だけ強くなるんか、
 
死にたくねぇけど、消えたい。
いま、やんなきゃいけないのに
 
 
首吊ろうかな、
首吊るのはなんか王道なんですけど
 
 
いや、まずいな。
 
なんか身体動かした方が良いのかな、
こういう時は走った方が良い気がする。
 
 
もうだめだ、が口癖。
その反対は何か。
 
最近、応用と対極を意識してんのかなって思って、
 
 
応用は前書いた、
マッスルなんちゃら、なんだっけ
筋トレの自己啓発本みたいなやつ。
あの筋トレの要素を勉強に置き換えて
かんがえて見たり
 
対極は
例えば自分がよくさぼってんなって思ったら
努力してみる。なんか頑張ってみる
反対のことをしてみる。
 
この二つは結構、汎用性高い気がするんですよね。
 
 
 
死のうかな、
なんかね、自殺を考えてるだったり
自殺未遂をしたりする人って
社会的成長が遅くなる気がするんですよね。
 
自殺しなかった、偉い。から考えると
土俵が低いんですよね、土俵?なんというか
自分のハードルが低くなっちゃって、
なんというか、
 
例えば自殺なんて考えたことない、
学校は当然行く、
自習も勿論やっております。
 
なんて人だったら
大学に落ちるか、落ちないか
自分のハードルになる気がします、おそらく!
 
 
引きこもっている人は
大学受験が目標ではないですよね。いやわからんけど
 
引きこもっている人の社会的目標、あくまで社会的目標ですが
外に出て働く又は勉学することなんですよね。
 
 
引きこもってない人からしたら
え、外出るなんて簡単、というかそこまで考えたことなかった、
そう思うでしょう。
 
人それぞれのハードルがあります。
 
 
でも自殺未遂とかしちゃうと
自殺しないのハードルができるんかなぁ、
 
いや、そんなことないか笑そんな日もある程度ですかね。
 
 
蛇口ひねったら飲み水が出て、
YouTubeが見れて、
朝起きたら飯が食えて、
 
まぁ、たまにでもいいから感謝すべきなんでしょう。
 
 
死のうかなっていうのは、
結構、汎用性あって
 
【口に出す場合の話ね】
・強い言葉を使って自身の感情に目を向けてほしい。
 
ってのが一番なんですかね、
 
 
死ぬしかないってのが死ぬ理由かな、
 
前、会社で苦しいなら辞めればいい
的な発言した気がするんですけど
 
クソガキですね、
 
今と未来に希望を抱かなくなったときに人は死のうとするのかな?
死ぬほどマジでつらいけど
三日後にチート能力(マジでなんでもできる力)手に入れられる
って思ったら死なないかな、なったことないからわからないけど。
 
 
今の会社が苦しくて、
もし辞めたとしても就職先はないだろうし、
あったとしても今よりも確実に低くなる、
特に努力もしてこなかった自分が悪い、
逃げたい、でも逃げる、、
死ぬか。
 
 
っていうマインド
 
 
過去の自分を責める
 対極
未来の他人を称える
 
なんか
 
いや、対処法はないのかな、
 
死ぬしかないんか
 
 
でも死ぬことを考えてると落ち着きますね、いやいきりとかじゃなくて
多分、自分に素直になっている時間だからなのかな。
 
死にたいって思う自分の気持ちを受け止める、
 
いや、一時的だろ、
 
 
死ぬくらいだったら、
っていうお決まりがあるんですが。
 
いや実際、死ぬくらいだったら会社辞めるとか
学校辞めるとかのほうが絶対いいんですが。
 
 
なんかもう今の自分よりも苦しい未来しか見えなくて、
 
 
 
あ、夜と霧。
フランクルさんっていう精神科医のメンタルモンスターが居るんですけど
その人はユダヤ人ってだけで強制労働、網走とかとは比べ物にならないくらいの刑務所にぶち込められたんです。
期限はなし。
いや、自殺イベント。
実際、悲しいことにかなりの自殺者が出てしまったようです。
 
フランクルさんは生き延びたんですよ、二年間も。
これはブラック企業、自殺欲、絶望
全てに応用できる。んー、
 
希望、未来に希望を、イメージをする。
なんかフランクルさんは
刑務所での出来事、想ったことを
本にして出版しようと常々思っていたそうです。
なんでしようとしたのか、
多分、ただしたかったから
 
 
俺の理想ってなんだろうって考えたとき、
 
学校の特別授業で精神の大切さを教える人になること。
これはしたいな、とても
なんの力もない、知恵もないけど
確かにただしたい。
 
これは本当、
死にたいのも本当、
心を大切にするということを啓蒙したいのも本当。
 
 
遺体にもなれるし
首も吊れるし
講師にもなれるし
 
 
可能性なのか、
 
なんかもう疲れた。
ジリ貧な人生って感じ。
 
もうほんとに
 
 
 
自分磨きか、
自分を磨こうと思わないのはなんでか。
 
 
これはなんだ
スマホの見過ぎなのかな、
 
 
 
辛い苦しい、
 
仏教?
 
なんか吐きそう。
 
まぁ、苦しみの理由は成長したんじゃないか。
前は苦しみの対象が精神疾患だったけど
大学頑張れなくてつらいっていうのは
社会性が上がってんねぇ
 
三日かけてできることとかやってみたらいいんかな
なんか長期的に、
 
いやもうやめよう
疲れた。
 
 
 
読んでくれたあなたも無理せんでね
読まなかったあなたも。
 
なんか人の幸福心から願えるっていうのは
いいんじゃないか。
 
 
いいと思うよ、
 
死が頭をめぐるからうわー(´・ω・`)

 

 

 

 

 

なんか人の話聞くだけの配信とかしたら

面白そうじゃないですか?