精神疾患についてゆる〜く学ぶ。

精神保健福祉士を目指している男のブログ。

『夜と霧』虐殺から学ぶ希望の見出し方。

夜と霧という書籍はご存じだろうか。

 

ナチスドイツから迫害されたユダヤ人であるヴィクトールEフランクル氏の強制収容所内での苦悩と絶望と愛と希望の物語である。

この物語は悲惨の二文字では足らない程に苦しみに満ち溢れた内容である。

前提として理解してもらいたいのは『実話』であるということ。

ユダヤ人というだけで、髪を剃られ、財産を奪われ、人権を無視し、家畜の様に扱い、無慈悲に死んだ者を煙突の黒い煙へと昇華させたこと全てが実話なのである。文字からはとても読み取れない苦痛を被収容者は味わったことだろう。それは著者であり収容も経験したフランクル本人も書籍内で述べている。アウシュヴィッツ強制収容所、本作の舞台であり、この世にあってはならない地獄を体現したような場所である。この場所で何万人ものユダヤ人が強制労働ないし奴隷のように扱われ、死んでいった。死体は炉の中で焼かれ灰と化した

もはや地獄のほうが生ぬるいのではないか、過ごしやすいのではないか。実際に当時のアウシュヴィッツでは高圧の電流が流れる有刺鉄線に向かって走り命を投げる者も珍しくなかったようだ。そんな壮絶な被収容者の監獄内での生活

死にゆく者の心理状態を描く『夜と霧』だが、いかにアウシュヴィッツが残虐性に帯びた施設であったということを記した体験談ではないということ。そういった体験談は著者以外に沢山の人物が書き連ねてきた。この作品は生き方を問うた作品なのである。著者フランクル氏は精神科医であったのだ。精神科医の視点で監獄内の人間の心理、自身の心理状態をも観測対象とし、起こる出来事、そこからの二次的影響をも加味した全てを自分の内なるものにしようとした。そしてその過程を描かれたのが『夜と霧』なのである。勿論、生半可な精神状態で強制収容施設で起こる物事に対し心理学的視点で見つめる事はできない。本書の表紙には119104の筋の羅列がある。フランクル氏がアウシュヴィッツ内で呼ばれた通称である。常に死んだ方がマシな状況下が発生し続ける。過酷な精神戦は二年半続く、フランクル氏はどう生き延びたのだろうか。現代では自殺者が増えている。それはけしてフランクル氏が監獄内で受けた薄い水のようなスープ栄養源とし長時間労働(もちろん、それだけだはないが割愛)をしたことが原因ではないだろう。様々な要因が右往左往に蠢き希死念慮に苛まれた者の精神状態のように絡んだ結果が生む十人十色の疾患なのだが、その課題の本質は同じなのではないか。夜と霧は本質を問うている。なぜ生きねばならないのか。人生にはどういった価値があるのか。苦痛や希望を絶やす種に水を与えない様は自殺への着目を逸らす。

それでも人生にイエスと言おう。

けして、あなたよりも苦しみ抜いた人物が過去に実在したのだ、したがって今貴方の屈辱、苦痛、絶望、劣等、怒り等のネガティブな感情は取るに足らないのだ、とする作品ではない。天から糸は垂らされずただ現実に嘆き蔓延る魑魅魍魎となるかは人生や現実ないし環境が決めるのでなく自身が。