精神疾患についてゆる〜く学ぶ。

精神保健福祉士を目指している男のブログ。

生に関心をなくした人々。

なんとなく死んでも良い、と思う人がいる。

自分の出会ったその方は生きることに興味がないようだった。

生への執着も、死への恐怖も持っていないと述べていた。

死んでも良いというのは、自分自身の人生に興味がないということなのか。よく、高齢の方で「もう死んでも良い」と語る方は見かける。病気で苦しんでいる等の例を除くとその大体は満足に満ち溢れた表情で述べると思う。自身の歩んできた人生に悔いはないからであろう。規律を守り、自身と自身の大切な者を守るべく酸いも甘いも噛み分け、身を粉にして努力した者が養える価値観である。自分はそう思っていた。

死んでも良いと語ったその相手は高齢ではない。実年齢は詳しく聞いていないがおそらく三十代前半で生産年齢人口に十分入る世代である。日本という世界的にみても平和な

国で暮らしながらもどういった経緯でその価値観は形成されるのだろうか。平和といっても社会問題や個人的な部分で、生きずらさを感じる人々がいるのは確かである。

だが自分は、特段明確な理由ありきでの発言ではないと感じた。

なんとなく死にたいのではないか。なんとなく生きたくないのではないか。

例えるならば死にたい未満、生きたい以下。「もう死んでも良い。そこまで生きたいとも思っていない」そう淡々と語る彼女からは正気を感じた。生物としての根幹を揺るがす考えだが、狂気じみていない語り口に自分は不快感を覚えた。なぜ生きるのか、という問いも贅沢なものなのではないか。人間という生物も元来、生存本能の上で繁殖している。死の恐怖から逃れるために飢えを凌ごうとするし、飢えを凌ぐため農業を始め同時に定住を行う。つまり人類ないし生物は死への関心が強くなければならない。なんとなく死んでも良いという価値観は、人類史から見ても異常であるどころか、対極的な考えであると言える。時代とともに変化する死への価値観。

苦痛の感じ方は人それぞれであり生まれ育った環境や周りの人間の人間性が強く影響している。飢えや病気からかけ離れている我々にとっても死にたくなるような人生の障壁があるのは事実だ。なんとなく死にたいと思う人々へのこの不快感の正体とそういった人物へはどう働きかけるべきなのか。高校生の頃、クラスメイトが死んだ。首吊りであった。

特に親交はない方だったがとても衝撃だった。クラス内での彼女はよく笑顔で悩むよりも悩んでいる人に駆け寄り話しかけるような人物であった。学業も優秀で、バイト先でもその人間性を認められているようだった。少なくともそう聞いていた自分にはそういう人物に見えた。自分にも見えない、何かしらの苦しみがあったのか。それともなかったのか。死を選んだ道理があったのかももはや知ることはできない。薄く紫色に変色した遺体とバイト時代に使われていたのであろう写真が入った黒い額縁。彼女もなんとなく死にたかったのだろうか。自分が死ぬまで理解することはないだろう。彼女も何かしらの被害者なのか。彼女一人では解決できない大きい問題に殺されたのではないか。もし、自分が死ぬ直前の彼女に言えることがあったら何だろうか。死んではいけない。命を大切にしなければならない。そんな手垢のついた常套句は彼女の心に響くのか。そもそも死んではいけないのか。早くか遅いかの違いで生きる道理は必要なのか。正直、理屈を述べることができない。

だが自分の中で生きていてほしいという感情はある。

死のうとする人間を止めようとするとき確固たる意志が自分には必要であると感じた。

人間も環境に依存する。個人を見直すのも賢明だが、環境にアプローチすることが大事であると考える。日本は自殺者が多い国、その所以を探ることが漫然とした希死念慮を持つものと自殺行為者に対しての健全な精神を養うべき道理を見つける鍵となるはず。

UNIVERSE25という実験を知っているだろうか。

数匹のネズミを外敵はおらず食料や水は減らない住処で育てるとどう生存していくのかを検証した実験だ。気温も湿度も保たれ、病気の予防も実験者が被験者(マウス)に行う、生物にとっての危険をすべて排除した環境。いわば楽園(ユートピア)である。マウスたちは何もしなくてよい。探さずとも食料は手に入れられるし、命を狙う他の生物は存在しない。はじめ八匹であったUNIVERSE25内のマウスたちは急速に人口を増やし、7か月後の個体数は合計600匹を超えていた。ところがその勢いは次第にペースを落とし始め、行動に不自然な変化が起こり始める。本来持つべきテリトリーを持たず活力を失い引きこもる個体が増え始めたのである。引きこもり以外のマウスは、オスは本来行うべき子を守ることをせず、メスは子を守ろうとするもその行動に不備が多く見え始めた。妊娠率の低下や流産率の上昇、テリトリーの持たないオスの異常行動が増え、560日が経ったUNIVERSE25内のマウス人口は増加が止まり、出生数が死亡数を上回り、高齢化したマウスのみになった。そしてUNIVERSE25は最後の雄が死亡し、滅亡の一途をたどった。

このUNIVERSE25と現代社会は酷似している。潤沢な食料と水。金を出せばどんな料理も出てくる社会。引きこもりが増え、少子化が進み、高齢者が増え続ける。日本の社会問題と重なる部分が多々ある。何でも手に入る、苦労しなくたって良い、働かなくたって良い、死にも病気にもおびえる必要はない。その状況こそが人類の発展どころか衰退に起因しているのか、なんとなく死にたいという思考もこの状況から生まれているのだろうか。